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※この記事は2014年8月11日・18日合併号のタイヤ新報に掲載されたものです。

 

はじめに

 

大坪檀さんと初めて会ったのは、もう45~46年前になろうか。爾来、学会などで上京される度、時間があれば旧交を温めあったが、大坪さんから「一度うちの大学を見に来ませんか?」と誘われ、百聞は一見にしかず、先日訪問してキャンパスの一部始終を案内して頂いた。そこで感じたことは、大坪さんが、石橋正二郎さんから身近に教えられた「哲学」を、見事に大学の経営理念・思想として活かしているということだ。大坪さんは、酒は一滴もやらないけどいつも酔っているように快活でオープンだ。壮大インタビューをお楽しみ頂きたい。      (福井金太郎)

 

文化と芸術

 

―ブリヂストンではどのようなセクションを?

 

 『アメリカ進出の時に現地の初代経営責任者を務めました。帰国してからは宣伝部長を10年以上。それと経営情報部部長というポジションで補佐官として石橋正二郎に仕える時間が長かった。私はUCLAの大学院で博士課程を取る前にブリヂストンに入社しましたが、「自分の博士課程はブリヂストンだ」と言っています。石橋さんの下で学んだことが博士課程と同じなんです。』

 

―それだけ得るものが大きかったということですね

 

 『私の人生最大の宝です。大学経営で一番心しているのは、石橋さんから教わった人事です。「できない人はいないよ。使い方と配置が悪い。日本庭園を見てご覧よ。こんな小さな石や木でも置き方によってはそれがないと困るだろう? 会社経営とはそういうものだ」。大学経営をしていてもそう思います。「人を大事にしなさい」「人が喜んで働ける組織にしなさい」。そういうことをいつも念頭に置いている人でした。私自身もそれに関する色々な相談を石橋さんから受けました。』

 

―どんな相談が一番印象に残っていますか?

 

 『一番印象深かったのは脱同族に関する相談です。組織で権力や責任を負うようになると脱同族の重みが大きい。企業はある段階を越えたら私有化できない。それを「公器」と言います。公器について石橋さんは非常によく考えていた。利益はみんなに返すものだと思っていたんです。美術館も石橋財団のものだけど、社会に寄付しました。』

 

―ブリヂストン美術館は、そうした考え方から生まれたんですね

 

 『美術館を介して世界中の思わぬ人との交流が生まれました。「石橋さんに敬意を表したい」という人が大勢現れた。結局そうしたことがないと、コミュニケーションはできないと思います。』

 

―最近ではそうしたコミュニケーションも見られなくなりました

 

 『今の日本人がうまくコミュニケーションできないのは、日本の文化や芸術を分かちあい、モノを語るということができないから。私はいつも教養・文化・芸術というのはコミュニケーションの手段だと言っています。美術館のシャガールの絵に感激してから石橋さんに会うのと、絵も見ないで会うのとでは違いますよね。そういうのを今の日本人は分かっていない。我々は学問的に理屈をこねて行動するじゃないですか。石橋さんは文化や芸術を通して交流することが得意だった。』

 

大化け教育

 

―大学経営について伺います

 

 『この大学には石橋さんの考え方が随分働いている。まず県民大学宣言というものをしました。国家のためではなく、県民のための大学。この理念とミッションを、私ひとりではなく、みんなで考えてつくり、宣言しました。産業、行政、民間、大学、ここではそれらが一緒になっている。教育の概念を変えたんです。「教育」は「教え」「育てる」と書きますが、我々が言う「きょういく」とは「共に」「育てる」と書きます。』

 

―発想の視点が違いますね

 

 『我々が取り組んでいるのは地域の活性化、つまり静岡県の産業社会のために役立つ人を共にみんなで育てることです。今まで大学は先生や研究者のためにありました。私は「大学は誰のためにあるのか?」をみんなで議論しました。大学のお金を出したのは磐田市ならびに磐田市民です。ということは、大学は地域のためにある。では、学生は何のために大学に来るのか? 将来、産業界で働き自分がハッピーになるためです。では、そのためにはどうすればいいのか? 学生たちを働けるようにしないといけない。』

 

―今、産業界では人手不足、後継者不足が課題としてあります

 

 『そんなことにならないように、我々は年間1000社以上の企業を訪問して産業界に働きかけています。「どういう人材が欲しいのか?」を企業から聞き出し、それを学生たちに提供する。そして企業にも「こういう学生がいますよ」とアピールする。だからうちは就職率が93%なんです。』

 

―大切なことです。就職するために大学に通っているわけですから

 

 『社会に出ても仕事ができるように育てないといけない。どうすれば学生が早く習熟できるか? どうすれば「できない」と言われた学生が「大化け」するか? 我々は学生ができないのは「教え方」にあると考えたんです。教え方を変えればできない学生もできるようになる。その答えのひとつとして行っているのが「冠(かんむり)講座」です。』

 

―「冠講座」と言うのは?

 

 『産業界や行政機関の寄付で行っている講座です。最前線で働く現役幹部社員に登壇してもらって、演習形式の授業もしながら、実践的な学びを習得してもらう講座です。』

 

―企業の社名がつくから冠講座というわけですね

 

 『一流の優良企業や自治体の講座を好きに選べます。経営学部の講座には中部電力、磐田市、スズキ、ヤマハ発動機など地元優良企業や官庁が名を連ねています。もちろんブリヂストンの冠講座もあります。』

 

―これも大学が行っている産業界への働きかけのひとつなんですね

 

 『そうです。できない学生はいない。すべての学生はできる。「できない」と言われた学生を「大化け」させる。それが大きなスタンスです。これがうちの大化けスイッチです。』

 

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―「オバケ」と「大化け」をかけているんですね

 

 『うちの商標登録なんですよ。まだ歴史は浅いけど「大化け」した学生はたくさんいます。お父さんから「ヤンキーでグウタラの倅をなんとかしてくれ」と頼まれて入学した学生が、卒業すると、横浜国立大学の大学院で修士号を取るまでに「大化け」していた。自分でできる子は卒業してもわざわざ学校に挨拶には来ません。彼は修士号を取ったといって私のところへ飛んできた。「できないからこそ、大化けさせる」。それが本当の「教育」なんです。』

 

―石橋さんの考え方が生かされていますね

 

 『石橋さんが言った適材適所、活用の仕方、動機付けの仕方によって人間は変わる。私は石橋さんの側に居たから、今の経営方法に辿り着けたと思っています。』

 

教育の問題

 

―今のお話だけでも経営学のひとつの講座になりますね

 

 『今まで大学は経営をちゃんと考えてこなかった。なぜなら何も考えなくても学生がたくさん来てくれたから、潰れる心配がなかったんです。ところが、今は大学も潰れる時代になった。』

 

―それを見越して、今の経営方法に辿り着いたんですね

 

 『今の教育の問題点は、誰もが高校を卒業したら大学に行くものと思っていること。今までは大学に行くことが教育の最大目標でした。しかし一番大事なのは「大学で習ったことが社会に出て何年使えるのか?」ということ。例えば、技術系の知識はあっという間に陳腐化してしまいます。となると、自分で絶えず勉強を続けないといけない。これからの大学は、生涯にわたって「自分で学び自分を豊かにする力」を磨く場であるべきだと思います。』

 

―今は新卒社員がすぐに会社を退職するケースが多いですね

 

 『自分への反省も含めて、産業界にも責任はあると思います。大企業で3年の間に辞める新卒社員が平均で2割もいます。』

 

―それだけ労働環境が厳しいということなのでしょうか?

 

 『問題は、労働環境が厳しいことじゃないんです。目標や理念がないことが問題なんです。』

 

―企業の理念に納得できていれば働き方も違うでしょうね

 

 『誰にでも進歩、発展したいという意欲はあります。大学はそれに気づくのが遅かった。』

 

60点主義

 

―これだけ新しい発想の大学経営を実際にするとなると、難しい局面もあったのではないですか?

 

 『私の経営思想は「60点主義」なんです。完璧なものを出せるなんて、初めから思っていないですから。最初から完璧にやろうと思っても全然だめです。』

 

―だからこそ、これだけ大胆な発想を実行に移せたのですね

 

 『たとえ60点でも、残りの40点はいろんな人の意見を聞いて100点になるようにすればいいんです。』

 

―日本は徹底した100点主義だから何も進まない

 

 『そういう人に「駄目だったらどうするんですか?」とよく質問されるんだけど、簡単です。「やめればいい」(笑)。駄目でもやり過ぎるから駄目なんです。』

 

―わかりやすい(笑)

 

 『私が新しいことを始める時に大事にするのは「ルール」「透明性」「信頼性」「組織」です。新しいことを始める時、そこにはルールがない。ルールをつくり、それに従えば早く正確に仕事ができます。』

 

―「透明性」については?

 

 『コソコソと隠し事をしないこと。情報をどんどん開示する。開示しているからには「わからなかった」とは言わせません。頭のいい人はすぐに詮索を始めるでしょう? 余計な詮索をすると変な誤解をして間違えてしまう。それがないように最初からオープンにするんです。』

 

―「信頼性」とは?

 

 『組織全体が機能するためには、リーダーが責任を持たないといけない。「信頼性」とは、リーダーなら信頼される人格になりなさい、という意味です。信頼のある人から物を言われると受け入れやすい。信頼のない人からだと受けつけなくなる。』

 

―それが「組織」へと繋がるわけですね

 

 『いくらリーダーに「信頼」があっても好き勝手に動いていいわけではない。だから「ルール」をつくり「透明性」のある「組織」で動かないといけない。』

 

―4つの要素が互いに補完しあっているんですね

 

モノづくり

 

―日本のこれからの産業界についてお伺いします

 

 『日本は「モノづくり」が好きな国です。でも大量生産型の「モノづくり」の時代はもう終わりにしないといけません。』

 

―「モノづくり」は国の基本だと思いますが…

 

 『「モノづくり」は大切です。問題は価値を創らずに「モノづくり」をしていること。日本人にはインターネットを創造することができなかった。結局、アップルやマイクロソフトが新しい時代の価値を創った。今はiPhoneやiPadなどが新しい価値を生む時代なのに、相変わらず日本人は「モノづくり」に没頭している。だから今は多品種少量の高付加価値の「モノづくり」を考えないといけない。どうやって価値あるモノを創り、これからの日本を創っていくか? それが大きなテーマになります。』

 

―非常に困難な課題ですね…

 

 『私は、それをまず「考えよう」と言っています。私はロマンチストだから(笑)、日本人の持っている美意識や美学、センスで新しい文化や文明を創り、需要を創る必要があると考えています。』

 

―なるほど

 

 『学生によく質問することがあります。「ここに2つの時計がある。一つは6千円の時計。もう一つは40万円の時計。時間に正確なのは6千円の時計。でも40万円の時計も誰もが欲しがる時計です。どちらを創る方が誇り高く、生活を豊かにするだろう?」』

 

―難しいですね…

 

 『どちらも「モノづくり」です。40万円の時計は「デザイン」や「憧れ」を創っている。6千円の時計は「時間」を創っている。』

 

―考えやすいですね

 

 『時代がどちらに向いているのかを見極めないといけない。難しい時代に入っている。』

 

日本の未来

 

―東日本大震災から3年が経ちましたが、今の日本をどう分析しますか?

 

 『今の日本は、循環が一周して、戦争が終わった時と一緒です。多くの企業がなぜ変革に対応できていないのか? 戦後のシステムの上にアグラをかいてしまったからです。』

 

―時代の流れに制度がそぐわなくなってきたのですか?

 

 『教育の制度や「モノづくり」の価値、社会の制度や考え方が変わりつつあるんだけど、まだ適応できていない。一番難しいのは人間が長生きするようになったこと。昔は55歳で定年でしたが、今では定年も伸びたし、これからも伸びていく。世の中は「高齢化社会の出現で大変だ」と騒いでいるけど、私は「高齢化社会の出現は素晴らしい」と言っているんです。ただし、それ相応に色々なことを変えないといけない。長く働くなら勉強を絶えず続けないといけない。そのためには日本の教育制度を変えないといけない。』

 

―だからこそ「自分で学び自分を豊かにする力」を身に付けなければいけないんですね

 

 『それが新しい時代を生きる「力」になります。今、我々は発想の転換を求められる最大の時に直面しているのに、何も変えられていない。それに気づいている人が少ないんです。』

 

―ありがとうございました

 

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略歴

 

《おおつぼ まゆみ氏略歴》

1929年東京生まれ、1953年に東京大学経済学部を卒業し渡米、1957年にカルフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)経営大学院でMBAを取得。帰国後、ブリヂストンに入社、経営情報部部長、宣伝部長、米国法人経営責任者を歴任。その後、静岡県立大学教授、学部長などを務めた。その間、ハーバード大学やノースカロライナ大学で客員研究員も務める。1998年には静岡産業大学に移り、教授を経て学長に就任、2012年から理事長、同大学の総合研究所長も兼任。実名のほか、筆名:千尾将(ちお まさる)でも、多数の著書あり。